話すように書く (Write Like You Talk)

 なんとなく、話すのが得意じゃない。自分の中で考えるときにすごく集中していれば言語を使って思考できる。けれど、人に話すときは視界の情報を整理するのに脳のリソースをほとんど取られているから、理路整然と話すのはほぼ不可能だ。基本的には思い出しているだけであって考えながら話しているわけじゃないんだと思う。

 まあそれは仕方ないとして(というよりほぼすべての人間がみうらじゅんの様にウィットに富む発言ができるわけじゃないことはわかっている)少しでも改善しようとまずは書くことから始めようとこの文章とかを書いてみたりしてるんだが... つまり文章というのは何度も推敲できるからそれをできるだけ早くするようにすれば発話の練習になるという理論だ。それが無理でも基本語彙くらいは増えるだろう。

 

 ところでおれって普段はまともな文章を読んだりはしないんだけど、ポール・グレアムの(日本語訳の)エッセイはよく読むんだよね。

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 話すように書く。なるほど。間違いない。話し言葉は語彙や表現を書き言葉から減らされたものだと個人的には思っているからわかりやすいのも当然だ。

 

 実はちょっとは本みたいなものを読みたいと思っているんだけど、そうにもいかない理由があって、大学生になってからずっとこのローマ人の物語カエサルのところの上下巻を読もう読もうと思っては時々数ページ読んで、4年かけて上巻がやっと終わりそうみたいな感じなんだけれども、ここだけでも各巻400ページくらいある上に内容の把握が難しい。ローマ世界の地理と民族について振り返りながら読まなきゃ全く理解できない。だが面白い。

 内容は難しいけどこの本の文章自体はすごく読みやすくて、まさに話すように書かれていると思う。下調べも含めて1巻1年で書かれているというのだからちょっと自分には想像できない世界だ。おそらく自分のようにあれやこれやと考えるのではなく、作者は書くように話せるし、話すように書けるのだろう。(時々知らない語彙が出てくるんだけど)

 

 何が言いたいかというと、つまり人に読んでもらえるような文章にするにはちゃんと話せる必要があるってことだな。オイオイオイオイ ちゃんと話せるようになるために書き始めたのに、ちゃんと書くためには話せる必要があるってことじゃあないか。

 そろそろわかるだろうけど、このエッセイも話すように書いてみた。各文も無茶苦茶だし、構成はもっとひどい。何が話すように書くだ!

 

 話すように書くっていうのはこういうことじゃないんだろうな。ポール・グレアムの他のエッセイで The best writing is rewriting. という、多分なんかの引用なんだろうけど、印象に残っている格言が出てきた。そうか、その場でぱっと考えたような文という意味じゃなくて、変な語彙を使ったり変に複雑な文を作ったりするなというくらいの意味かな。

 

 ちなみに、みうらじゅんはテレビで1年に一回くらい見る謎の人って認識だったんだけど、最近YouTubeで色々観て、まだほんのちょっとしか分かってないんだろうけど、こんなに発想力が豊かで教養があって非常識な面白い人間がいたのか!となったよね。特に会話の切り返しが本当に面白くて、アドリブで予想外のベクトルを飛ばしてくるから、脳が理性を超えて面白いと思っちゃうというか、さ、、、やっぱり表現力・語彙力もないな、、、文を書くことで語彙力が増えるというのも冷静に考えればそんなわけないだろうが、、、じゃあこのエッセイは終わりにさせてもらうよ、、、